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※眠らない生徒(2024年12/13)

  眠らない生徒がいた。もちろん塾内でだ。運動会の後の塾の授業でも全く眠い目をしない。一度その理由を尋ねてみると驚くべき返事が返ってきた。塾に入るときに自分に「眠らない」と誓ったそうだ。私にこれだけの深い考えと強い意志があればもっと「立派な」人間になれたのに、と思った。彼女は中学3年生の2学期に一度だけ「うとっ」としたことがある。受験勉強で疲れていたのかもしれない。私は目ざとくそれを見つけ、見られた彼女もこちらを見て二人で笑いながら目を合わせた。

 眠いとすぐに寝てしまう意志の弱い生徒も何人かいる。成績はなかなか上がらない。欠席しているのと何も代わらないからだ。

 そのい眠りをしない女生徒は県立船橋高校に進学した。

 

 

※ゴミだらけの生徒(2025年1/21)

 授業が終わるころには机のまわりに切れ端が散らかっているような女生徒がいた。もちろん成績は上がらない。偏差値も45程度から上がらない。月例の学力テストのときにも机の下に置いてある漫画を読んでいるような生徒だった。

 ところが中学3年生になるころから成績を上げてきた。よく覚えていないのだが妹が学究舎に入ってきたのがきっかけだったかもしれない。最終的には偏差値63程度まで上がり小金高校が合格するのではないかと思った。

 当時は県立高校に関しては担任の教師が許可しないと、思う高校に出願できない風潮があった。不合格になると進路指導の失敗という烙印を押されるからだ。その生徒はまだ担任の信頼を得ていなかったのだろう、そのため柏中央高校を受験し小金高校が合格するような得点で入った。

 後で報告に来たのだが、学校ではいつもトップレベルで、現役で法政大学へ入学した。

 様々な刺激で生徒は変わる。学究舎ではその刺激を生徒に与えることを重視している。授業中に過去の生徒の成功例を話すのもその一環である。

 

 

※言いたくない(2025年1月28日)

 以前、姉がいる女子生徒に「お姉ちゃんどこの高校へ行っているの?」と聞いたことがある。その生徒は「言いたくないなんだけれど」と答えた。私はすぐに察して「あー」で終わった。本人はかなり学力が高い生徒だったので何気なく聞いてしまったのだが、お姉ちゃんはかなり学力の低い学校だろうと想像がつく。

 当塾の生徒にはここ数十年でそこまで低い高校に行った生徒はいないが、やはり堂々と答えられる高校に進学してほしいと思っている。あと1年で受験だ!

 

 

※塾の授業料(2025年6月24日)

 私がよく生徒に話すのは塾の授業料に見合うだけの学習をしろ、ということだ。今日本では貧困が広がって塾に来られない生徒が数多くいる。塾に来させてもらえるのがどれだけ有難いことか。生徒には繰り返し話している。

 私は授業料に見合うだけの価値のある授業を目指している。保護者はそれを払うために家計の一部を切り崩して授業料を払っている。生徒がいい加減なことをやっているとつい一言言いたくなる。「今先生が話しているのは親の願いだぞ」

 わかってくれるといいのだが…。

 

 

※考えろ(2025年7月19日)

 私はよく生徒に「考えろ」と言う。先日も「やる気をだすにはどうしたらよいか。」という質問に、なぜ学習するのか、自分はこの先どうなりたいのか、学力が低くてもよいのか等まず自分で考えてみることが大切だ、という話をした。ただ塾に来て勉強させられているうちは成績を上げるのが難しい。やらされている学習は役に立たない。

 話は変わるが、オーム真理教の信者たちも自主的に考えることができれば、あの不合理さに気づくはずだ。高学歴で記憶は得意でも、盲信して考える力が弱かった信者たちがあの事件を起こした。

 私も生徒にいろいろなことを話すが、「今先生が言っていることは必ず正しいとは限らない。最後は自分で調べ、考えろ。」という話をする。

 考えることで気持ちが整理され少しずつやる気が出るかもしれない。

 

 

※中学3年生(2025年10月22日)

 中学3年生の学力の伸びが著しい。前期の期末試験で1位の生徒と4位の生徒が2名という成績を残した。実力テストで1位になった生徒もいた。

 中学1年生の最初の定期テストで30位前後がいちばん成績の良い生徒だったと記憶している。学究舎の生徒はすごいな。現在の中学1,2年生もこのレベルに達すると信じている。親バカかな。

 

 

※勉強とは(2026年2月4日)

以前、聖徳太子を知らなくても生きていけるよね?と質問してきた生徒がいる。それが勉強の本質をついている質問だということに気がついてはいなかったのだろうが。

聖徳太子を知らなくてもカエルの心臓がどうなっているのか知らなくても普通に生きるのならば何も差支えがない。

 それではなぜ学習をするのだろうか。様々な答えが浮かび上がる。良い学校に行かないと良い会社に就職できないから、と答える人もいるだろう。これももちろん間違いではないが、私はこう考える。人類はいろんな知識を得てそこから様々なものを作りあげて発展してきた。そういう人が多ければ多いほど、そこから新しいものを生み出すことができる人が多く生まれ、社会は発展してゆく。学習している人々の底辺が多く土台がしっかりしていれば、そこを抜け出して新しい段階に上る人が多く出てくる。その人たちが新たな何かをつくりあげる。

確かにある人は底辺のまま日常生活に追われるかもしれないが、そういう人がいなければこの社会は発展しない。学習してきたひとりひとりがこの社会を形成している。

学習は判断力を養う。人生において様々な判断、決断をしなければならないことが多く出てくる。そのときに持っている知識が役に立つ。聖徳太子やカエルの心臓、その他数多くの知識が絡み合ってその人間の生き方や判断を形成する。正しい知識なしでは正しい判断はできない。

 先日、7年前に学究舎ゼミナールを卒業した女子生徒からラインを通して手紙をもらった。その生徒のメールを本人の承諾を得て一部抜粋してここに掲載する。

 「ご連絡が遅くなりましたが、進路のご報告をさせていただきたく連絡しました。

 今年の3月に〇〇大学(有名大学です)心理学科を卒業し、パッケージメーカーに入社することになりました。

 私がパッケージや心理学に興味を持ったきっかけは学究舎の夏期講習で読んだスーパーのマーケティングに関する英語長文でした。

中学生の頃は、なぜ勉強を頑張るべきなのかも曖昧なまま必死に食らいついていましたが、当時自分なりに頑張ったことが点となり、今ではその点と点が結ばれて線になったように感じています。」

彼女の言葉は勉強の本質をついている気がする。

 

この後勉強の楽しさや大切さを学究舎ゼミナールで学んだという感謝の言葉が入っていた。自分の人生が一人の人間の生きざまに影響を与えたことは無上の喜びだ。